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祖父の思い出

子供の頃育った家では、祖父が家事をしていた。
私は子供の頃、ひどく胃腸の弱い子供だったので、しょっちゅうお腹をこわしていたのだが、どうもそれは祖父のせいだったということを大人になってから知った。
祖父は万事につけ手を洗わない人であったらしい。
私が偏食児童になったのは絶対この人のせいだ。
熱を出して寝込んでいると、祖父は決まって卵入りのおじやを作ってくれた。
だけど私は、白いおかゆに憧れていて、「白いのがいい〜」とゴネたこともあった。
私は幼稚園に行かせると嫌がって途中で帰ってきちゃう子供であったらしく、祖父が道で見張っていたこともあるらしい。それでも、知らない間に脱走するらしいので(私は全く覚えが無い)、脱走されるよりは、と家に置かれた。
祖父の側で、時代劇の再放送を見ながら絵を描いたり本を読んでいたりしていた。
どうも推測するに、私の渋好みはここで刷り込まれたものではないだろうか。昔は時代劇も多く、日がな杉良太郎や東野英次郎や天地茂ばかり見ていたのだから。
私が生まれた頃にはもう、家で祖母やうちの母を支えていた祖父だが、若い頃は会社勤めをしていたらしい。
母が子供の頃には、ねえやと呼ばれる人や住み込みで下働きをする人がいたらしく、その人達にとても面倒見が良かったらしい。戦時中は、その下働きの人から、「疎開するなら是非ウチの田舎に来て」と言ってくれ、そこでしばらくお世話になったといつか母が話していた。
子供の頃育った家には、よくいとこ達が泊まりにきた。私は昔から人に合わせない性格だったので、私だけが決まっていとこ達と離れて祖父の隣で眠った。


祖父の枕元にはKENTが置いてあった。
昔はセブンスターだったのに。

「そういえば昔、私達子供の前だってのに平気ですぱすぱ吸ってたよねぇ」と私が言うと、「もう私達の肺も危ないかもね」といとこの一人が笑った。
よく見ると祖父の足の指は細長かった。
私の足の指も長くて、こういう足はなかなか合う靴がなくて苦労するのだ。
すると、いとこ全員も足の指が細長くて、靴選びに苦労していることが判明した。
足の指は、この人のDNAだったのか〜と、一同で納得してしまった。


最後に祖父に名前を呼んでもらったのはいつだったろう。


まぶたが半分開いていたので、私はそっとまぶたを押さえてやった。
けれど、まぶたは硬直したまま、閉じられることはなかった。