このブログはBLを扱っております。苦手な方はご注意下さい




2011年4月の雑記

私の住む神奈川県川崎市は震度5強だったので、震災の時は家も物が少し落ちたくらいで済みました。
でも避難して外に出ていた時立っていられなかった位なので、震度7ってよっぽどなんだろうなと思う。


震災の直前に祖母がなくなり、震災の次の日が葬儀の予定だったので、「これお葬式予定通りできるのかなあ?」ということを考えていました。
予定通り祖母の葬儀が行われましたが、当然話題は震災のこと。葬式というのは親戚が大体集まるので、思わぬ安否確認の場になりました。もしかしたら、それも祖母の思し召しだったのかも。みんなで、そんな事を考えていました。
私はただ、とてもひどい言い方になりますが、祖母も母も、この震災を経験することなく亡くなっていてくれて良かったと、そんな事を思っていました。
身体が弱く、神経の細い母がもし震災の日に一人で家に居たとしたら。その後も続く余震にも、耐えられなかったかも知れない。そう思うと、いまは私一人だけの心配をしてればいいので自分的にも気持ちが少し楽。

震災の日、会社の人は皆、固定電話も携帯電話も繋がらない中、必死で家族に連絡を取っていました。

その姿を見てふと思いました。
守るべき家族がいない私は、命の危険に脅かされた時、「生きたい」という強い気持ちを持ち続けていられるだろうか、と。


震災の直後は恐怖を感じませんでした。祖母の死、震災、計画停電によるバタバタ、と大きなことが立て続けに起こり、なんだかテンションが祭り状態だったくらいです。
母が亡くなった時も凄いハイテンションだったことを思い出しました。物凄い躁状態が来る分、後の反動が怖い。
一か月たった今、余震が起こるたびに物凄い恐怖を感じるようになりました。
自分が揺れているのか地震なのか、ちょっとした揺れでびくっとなるし、テレビの「緊急地震速報」が流れると、もうどうしていいのか分からずにおろおろしてしまいます。


それにしてもあの買占め騒ぎと停電は何だったんだろうな……
会社勤めの人間は震災後しばらくスーパーなんか行けなかった。計画停電でもう16時にはスーパー閉まっちゃうし、スーパーが開いていても買い占められた後で品物が全然無かったし。
「勤めてる一人暮らしの人間はどうせいっちゅーねん!!」とブツブツ言いながら菓子パン買っておりました。
菓子パンとかカステラのような甘いものは結構売れ残っていたので、それらが大好きな私は、震災後一週間ばかり菓子パンとコーヒーで過ごしておりました。
飽きはしなかったけど、吹き出物がたくさん出てきた(当たり前だ)。
私の住んでいる地域は変電所の関係なのか何なのか、同じ町内でも停電の所とそうでない所があったり、そんなに離れていない隣の町内が停電していたりと、何だか訳のわからないことになっていました。
隣町の松屋が営業しているのに、道路一本挟んだ自分の町内では信号も消えていたりと、ずいぶんシュールな世界になっていました。あの光景は、ちょっと忘れられない。