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お盆

今年もお盆がやってきた。
うちの宗派は「お盆? 別に必要ないよ。でもやりたいならYOUやっちゃいなよ!」という大変フリーダムな宗派なので(多分私の拡大解釈)、どうしようかと迷うが、結局13日に支度をした。私は面倒くさがりのくせにイベント事が好きなようだ。
うちの宗派は特に精霊棚はいらないらしいのだが、仏壇のスペースが狭いので、お花や果物を別の台に置き、大内提灯を点けて一丁あがり。
キュウリのお午もナスのお牛もなし。提灯は夕方に点けていればいいらしい。私は去年まで、一日中点けておくものだと思ってた……


私が、毎朝陰膳を供えたり、なるべく月命日にお墓参りをしたりするのは、それだけ母と向き合う時間を作るためだと思っている。
それは私が、母が亡くなったことをとても後悔しているからだ。だから母の事を思い出すと、いつも鬱になる。
亡くなったこと自体を後悔している訳ではない。それは誰にも、どうしようもないことだから。
ただ、生きているうちにありがとうもごめんねも伝えられなかった。その事だけはとても後悔している。たぶん一生。
ドラマや映画では、よく息を引き取る直前に、亡くなる人が周囲にメッセージを伝えたりするが、あれができた人は本当に幸せだと思う(もちろん、亡くなってゆく人は無念だと思うけれど)。でなければ、喋れなくても、こちらから亡くなってゆく人に伝えられたらいいのに。
母の場合はもう意識が無かったので、話すことはおろか、まぶたをぴくぴくさせることも、手を握り返すことさえなかった。
母がどんなことを思っていたのか、最後にどうしても聞きたかった。
心の中ではありがたいと思っていたことを、知って欲しかった。
病気で痛くて辛かったね、と労わってあげたかった。

そんな贖罪のような気持ちで供養をするのは、後悔している自分に酔ってる自己満足に過ぎないのかもしれない。
なんて事を考える盆とお彼岸。