このブログはBLを扱っております。苦手な方はご注意下さい




新盆

うちの宗派はお盆だからって特別何かをすることは無い、という実にファンキーでフリーダムな宗派らしい(こんなこと言ったらバチあたりか?)が、せっかく親戚が岐阜提灯を贈ってくれたのでありがたく使わせて頂く。本当は迎え火とか送り火とかもいらないらしい。教えからは外れてしまうかも知れないが、故人の事を偲んでする行為ならば、どんなことでも間違いではない、と信じている。今のところは。
いやただ物を知らない事への言い訳なんですけど。
お寺さんから「新盆迎える人は盂蘭盆会をやるから来てね来てね」という案内を頂いたので、お寺でお経をあげてもらい、お墓参りをする。
住職の講話に思わずホロリとしてしまう。お坊さんって本当セラピストよね。……お布施と言う名の相談料が時価なのが恐いけど。
今回は私一人で法要を済ませなきゃならないので、何か粗相をしなかっただろうか、とずっとドキドキだ。
親戚や友人が入れ替わり立ち代わりお参りに来てくれたので、接待しっぱなしの私、気分は田舎へ帰った嫁。
親戚のおばちゃんたちは強かった。そして太刀打ちできないベテラン主婦だった。
準備こそ私がしたが、私がうろうろしている間に、家での会食が終わる頃にはすべての食器が洗い上がり、あとはしまうだけになっていた。さすが主婦。
「仏壇の位置が悪いわねぇ」と誰かが言ったかと思うと、人海戦術であれよあれよと言う間に仏壇の位置を変えてくれ、ついでに配置が違っていたらしく仏壇の中も並べ替えられ、灰ならしで香炉の中の燃えカスまでとってくれていた。
これだから親戚には頭が上がらない。


今年は祖父の新盆でもあるので、祖父の家へもお参りに行く。法要の掛け持ちなんてわかっちゃいるけどイヤすぎる。気分的に。
お供えの品物をお菓子にするか果物にするか悩んで、ふと気付く。故人の好きだったものが一番いいだろうが、祖父が好きだったものが咄嗟に浮かばない。実を言うと、母が好きだったものも咄嗟に浮かばない。長い間一緒にいたのに。
結局果物屋に行って、祖父が良く食べさせてくれた梨や桃を選んだ。選びながら、よくこれを私達に食べさせてくれたけれど、祖父自身はこれを好きだったろうか。私達孫が食べるからよく買ってきてくれたのではなかったか。祖父や母がそれを本当に好んでいたかなんて考えもしなかった。
祖父や母が与えてくれるものを当然と受け取っていたんだなあ、とぼんやり考える。


みんなが帰って賑やかさが去り、そして4日間灯した提灯の灯りを落としたら、「あーお母さんも帰っちゃったんだなー」と思ったら何だかやっぱり淋しくなった。